2015年02月27日

事件が多い

最近痛ましい事件が多すぎる。そして二時間ドラマでは使わないような、説明に困るようなわけの分からない事件ばかり。
 36歳で何故同世代の子供が沢山いる人と養子縁組したのか搬屋。事件の真相も分からないうちに、小さな子供たちを残して何故養父は自殺したのか。
 被害者家族や、関係者の家族もあるので想像の域で発言すべきではないのかもしれないが、もしこれが保険金殺人だとしたら、養父母側の養子縁組のメリットは分かる。でも、実の家族もある被害者が何故養子縁組をしたのかが分からない。
 また家宅侵入した若者二人。知らない人間がバスルームから侵入したら激光永久脫毛、泥棒だと思うだろう。追いかける途中知人に連絡。この方が止めようとして二人の車に振り落とされて亡くなった。そして彼らは泥棒でもなく友人を驚かそうと、入る家を間違えただけだと言う。
 亡くなった方は勿論被害者で、ご遺族のお気持ちを思うとたまらない。そしてこの方に連絡をした被害者の方もお気持ちを思うとたまらない。そして、悪ふざけのつもりだった二人???。やはり悲しい???。
 不倫相手の妊娠を知り、点滴で堕胎させた疑いのある医師。本当であれば人間ではない。付き添う奥様はどんな思いであろう。もし被害女性の供述が本当なら、旅遊公司独身と偽ってつきあい、妊娠後ビタミン剤と偽り服薬や点滴をして流産。産婦人科で処方された薬で彼の真意を知りながらも、結婚を夢見て一度は目を瞑った。奥さんがいることを知り告発したと言う。哀れである。薬を使ったと分かった時点で、もはや愛がないことは明白で独身であっても分かれるべきだろう。
 嫌な事件が多い。本当に多い???。

  


Posted by きま at 11:38Comments(0)

2015年02月10日

ヒロヨが亡くなって

私があらゆる人から言われたコトバは、

「まるでいきなり右腕を
もぎとられたような気持ちでしょう?」だったLoop HK

確かに私にとってヒロヨは、
長年右腕のような存在だった。

「前世は私ゼッタイにちーろの奥さんだっただら~」と
ヒロヨもよく笑っていたものだけど、
本当に、ヒロヨの内助の功なしでは
私の会社も育児も成り立たなかったと断言できるほど
私はヒロヨに助けられて生きて来た。

だから、紐崔萊產品周りの人たちはみんな、
右腕を失った私がどんなに困惑しているかと
同情して声をかけてくださったのだろうと思う。

ヒロヨを心底愛して頼りにしていたのは
もちろん私だけではなく
オフィスの全員がそうだった。

あまりにも突然ヒロヨを失って、
誰もが茫然自失状態だったはず。
なのにオフィスのみんな、
私のことをものすごく気遣ってくれた。

Pちゃんも、むっちゃんも、トシエちゃんも、
サシャも、キョーコちゃんも、口服益生菌マリちゃんも、
お互いを思いやる気持ちと、強化された絆と
驚異的なチームワークで
怒濤の日々を一緒に乗り越えてくれた。

そしてそんな激しい渦の中に、
カヨちゃんが飛び込んで来てくれた。

ヒロヨをもぎとられた肩から
ニョキニョキと生えてきたみたいに、
Pちゃんも、むっちゃんも、トシエちゃんも、
カヨちゃんも、サシャも、私の右腕になった。

インターンのキョーコちゃんも、マリちゃんも、
もうすっかり家族の一員になった。

やってもやっても終わらない仕事の中で、
ふっとみんなの顔を見るたびに、
この人たちと出会えた私は
なんて幸運なんだろうと思う。

私はこの人たちの幸せのために
これからも何があろうと笑顔で乗り越えて
いっしょうけんめいがんばろうと思う。


  


Posted by きま at 12:57Comments(0)

2015年02月06日

天才日本画家

上村松園[明治8年(1875年) - 昭和24年(1949年)]は、努力の天才日本画家。
男性中心の明治時代の画壇で、パワハラも渦巻いたであろう中、
類稀な才能と気性とで、不動の地位と名声を得た松園。

細かい筆致、美しい色彩で描かれた作品のひとつひとつを丹念に観た。
四季折々の情緒深い風景や、草花、構図、ポーズ、仕草、
着物の色や模様、髪型、かんざしなどのヘアアクササリーはとても興味深く観察した。
たおやかな中にも、芯の強さを感じさせる、凛とした女性美。
時代を越えて、ひしひしと心に伝わってくる、永遠の美を感じた。

明治という時代は、女性は学問はもちろん、如新nuskin產品手に職などつけず、
嫁入りし、妻として家のために尽くす、とういのが善しとされていた。
幼い頃から発揮していた松園の才能を見抜き、絵画の世界に導いた母。
その生き方は、親娘ともに、世間の非難を浴びたという。

松園の父は、松園が生まれる2ヶ月前に他界したが、母は女手一つで松園を育てた。
その影響もあってであろうが、女性一人でも、職業を持って立派にやっていけば、
別に夫は必要不可欠ではなかったと言える。
だが、まだまだ男尊女卑の精神が根強く残り、如新nuskin產品家父長制度の時代としては逆風が吹いたであろう。
そんな時代の中、まして、松園は、(最初の師匠だという説がある)妻子ある男性との間に、
私生児を生んでいるわけで、それは風当たりが強かっただろう。
しかし、その私生児こそが、松篁である。
松篁の子供が、淳之。
後の世にも、芸術の功績を残した人たちを残し、美を伝承したのだから、
私生児であろうがなかろうが、やはり子供は生んでおくべきだ、とつくづく思う。
まして、特に才能のある人のDNAは、後世のためにも。

そんな松園も、40歳代の頃、うんと年下の男性に、大失恋をしたという。
その時の作品が、今までの松園のものとは思えないほどの、
怨念や情念の込められた、鬼のように恐ろしい女性の姿を描いている
『焔(ほのお)』(1918)

その後は、しばらく出展はしなかった時期を経て、憑き物でも落ちたように、
微動だにしない、内面に確固たる強さのある、如新nuskin產品女性美の世界に到達したといえる作品を残している。
その作品が、この『序の舞』(1936)である。
激しい動きの直後の、それまで何もなかったような静止、静寂。
着物の袖が、腕に巻きついている様子から、その一連の動作の美しさが見て取れる。
心の地獄を潜り抜け、苦しみ抜いたその後に得た、松園のひとつの悟りなのだろう。
その作品までには、20年の年月が流れている。

燃え上がり、湧き上がる、芸術の創作意欲を生み出し、醸成させる原動力として、
「恋」は欠かせない重要エネルギーとなる。
ピカソも然り、だ。


  


Posted by きま at 11:23Comments(0)