2014年12月23日

の感動とは

原作が、宮部久蔵とその時代を、
多くの人の証言によって、重層的に描き上げる油絵だとしたら、

映画は、宮部ひとりをくっきりとあぶり出し、
戦争を知らない世代たちへと突き付ける、
あぶり出し絵のように感じた驗窗

原作の重厚さ(参考文献から引用されたドキュメンタリー部分)は、
思い切ってカットされ、
百田尚樹による創作部分と、
映画製作者によって改変付加されたシーンで構成されているので、

原作が大好きな人からすれば、拍子抜けするのも、分かる。



一方で、
「ああ、百田尚樹が言いたかったのは、これだったのか」
と、腑に落ちるところもあった婦女更年期

『永遠の0』というタイトルに込められた意味。

単に、零戦を称えたものではない。
零戦パイロットたちを、称えたのみでもない。
もちろん零戦に掛けてはいるが、他に、
   ゼロ = 無 = 永遠
という意味が、込められているのではないか。

 日本独自の、無常観。

事実、宮部は特攻死することにより、鋁窗維修愛する家族を守った。
守ったけれども、数十年後、
孫たちはもう、その存在さえ知らずにいた。
まさしく“無”である。

後世に生きる者たちは、皆、
そういうたくさんの、尊い“無”に、支えられているのだ――

  


Posted by きま at 15:43Comments(0)

2014年12月11日

怒り

わたしは、根性なしである。
怒りというアドレナリンは、あまり出ない。
怒りは、最初に、ぼむっと出るが、すぐ次に来るのが、あきらめと、悲しみ。
怒りは、別のものに変わってしまっている。
そして、不思議なことに、怨み、という感情はあまりない。

延々と不幸な出来事が続く国の歴史的背景から、
そういった感情を、脈々と受け継いで来ている民族もあるようだ。

そういった、広い目で見るのとは別に、個人的レベルでは、
いまのところ、私的な面において、怒りから怨みに発展するような経験はない。
その代り、怒りが、しょぼしょぼと、濃い色合いから、薄い消えそうな色合い、色彩に変化してしまっている自分がいる。
若い時から、そうである瑪姬美容集團呃錢

まわりの人たちに、よく言われる。
「怒ったことなんて、ないんじゃないですか?」
たしかに、そうである。
怒ってはいるのだが、怒りが弱いのだ。

そして、問題を自分で解決せず、依頼心、依存心が起こる。
強い人のところにぴたっと駆けつけ、Maggie Beauty弱弱しいフリをして、急な雨をしのぐ。
だから、この年になっても、いまだに、自立していないのである。

自分は、ほんとに、弱いんだろうか?なんて、思ってしまったりもする。
ひょっとして、ズルイだけかも知れない。


学生時代にアルバイトで教えていた、女の子がいた。
彼女が中学生から高校生の間、わたしは、詐欺まがいの家庭教師をやっていた。
(決して詐欺ではありません。わたしの名誉のため、はっきり言っておきますが。注釈は、めんどくさかったりする)
勉強なんか、ほんの少ししか見ないで、瑪姬美容ほとんど彼女のおしゃべりに、つきあっていた。

彼女は、神戸にある私学の中高一貫校に通う、裕福な家庭の一人っ子だった。
神戸?私鉄のとある駅から近距離の、静かな住宅街にある、落ち着いた大きな家に、
両親と、父方の母親と、暮らしていた。
いつも、ケーキとお茶、美味しい夕食を出していただき、いやしん坊のわたしは、それが楽しみだった。
サラダが出されると、「神戸BOON」のドレッシングを彼女が台所から取ってきて、二人で使った。
すりおろし野菜がたっぷり含まれている、オレンジ色の濃厚なドレッシングであるが、
これは、現在、三田屋のハムといっしょに売られているドレッシングとよく似ている。

ま、それはどうでもいいとして???。
彼女は、おばあさんの悪口をよく口にしていた。
お茶や食事の時間に、それを傍らで聞いていたお母さんが、「そんなこと、言っちゃだめよ」と言いつつ、
にこにこ、楽しそうでもあった。
自分の口からは言えない、姑の悪口を、娘が代りに言ってくれ、内心、すかっとしていたのかも知れない。

  


Posted by きま at 15:58Comments(0)

2014年12月05日

探し物をしていて写真を見つけた

偶然見つけたわけではない。
探し物の近くに置いている、若き日の写真の束。
高校を卒業してから22~3歳ぐらいまで。
滅多に手を伸ばすことはなく、見る気になることは、稀。
前に見たのは、いつだったのだろう?
10年近くなっているかも知れない。
いや、もっと前?

昔は、よく見ていた。
ああ、この頃が一番、キレイで輝いていたなあ???と、鋁窗顏色宝物のように大切にしていた。
なにかある度に、昔の自分を愛しんでいた。

自分でお気に入りだった写真を今、見てみると???
なんだか嫌なかんじの、高慢ちき。若い女性ならではの高飛車。
当時、たいしてお気に入りでない写真のほうが、今は好感が持てる。
メークにもよる。

そもそもメークは、自分のこころを表している。
尖がっている時は、尖がったメークをする。何かを訴えている。
おだやかな時期は、おだやかなメーク。借錢計算やさしげな表情。

18歳頃は、素のまま。
20歳ぐらいまでは、ほんのちょっとうすく、ファンデーション程度。
20歳を過ぎると、アイメークが入り、表情が個性的になっていた。
同じ着物(晴れ着)を着ても、印象が違う。
少女から大人への変身???移り変わりが、写真に現れている。

自分で言うのもヘンだが、見た目は、お嬢さんである。
おそらく中身も、お嬢さんだろう。
未婚の女性を総称して「お嬢さん」と呼ぶから、清潔鋁窗お嬢さんと自分で言っても、そう、かけ離れてはいないはず。

  


Posted by きま at 11:07Comments(0)